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環境が変わらなかったら気づけなかったこと

盛岡の道を歩いていて、目に留まるのは

ラッパ水仙。

ほかのお花がまだ咲いていないから?

いえ、歩けばどこでも明るいラッパ水仙に

出会います。

野の道のわきの狭い部分にも…一株ずつ…

斜面には群生して…

開けたところにちらほら  

遊歩道沿いに植栽もされていますが…

開けた草地には

自由に散らばって

咲いています。

これほどの数のラッパ水仙を見たのは初めて。

経緯を調べてみたけど分からなかった…

それほど盛岡の人にとって

4月のラッパ水仙は当たり前の景色なのでしょうね。

夜には毎日氷点下まで気温がさがる季節です。

だれに見せるわけでなくぽつんと咲いて…

そしてだれからも目を向けられず…

その力強く、頼もしい姿は

近寄りがたく感じました。

こんなに寒いのに

ただ黙って咲いている。

ちょうど盛岡にいたときに

亡くなった師のことばを聴く機会がありました。

「花はね、蝶が来てから咲くの? 違うでしょ?

寒い季節に水仙はだれの力もかりずに花を開くんだ。 花が開くから虫が来てくれるんだ」

その言葉のままのラッパ水仙の姿。

気高くさえ感じました。

まだ春が遠い冷たい空気のなかで

ラッパ水仙はしおれることなく

凛とした姿のまま

変わらす咲き続けています。

暖かな東京の庭では

花の時期はあっという間です。

寒い気候だから花の命は長い。

その姿にとても元気が湧きました。

同じ植物でも

生きている風土によって違う生き方がある。

そして厳しい環境にいることは

努力のしがいもチャンスも多くあるということ。

ラッパ水仙の姿は

そんなことを語りかけてくれるようでした。

結果はね、すぐに出せなくてもいいのかも。

東京の外にでなければ気づけなかった視点でした。

当たり前が当たり前でないということ。

いま社会自体があたらしいフェーズにいること。

抗わないで

新しいことに気づいていけたらいいな…

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